傷だらけ父さんのHappy Life Journey -マルファン症候群と共に生きる-

難病(マルファン症候群)をもち、これまで多くの手術を経験。そんな傷だらけ父さんの闘病記とハッピーな人生を追い求め挑戦する姿を紹介します。同じような境遇にある人、支える人達の不安を和らげ、諦めない気持ちへのエールになれば幸いです

大動脈解離 B型 ⑬手術後ICU~入院期間(胸腹部大動脈置換)

手術からの目覚め

 人生3回目となる大動脈手術の翌朝10時頃、目が覚めた。今まで経験した目覚めとは違う。口には何やら硬い管みたいなものが入っている。「あ、これが人工呼吸機か。」そう冷静に考えてゆっくりと息を吸って吐く。ただ、やっぱり何かが違う。人工呼吸機で息をするのは難しいなぁと思った瞬間、痰が喉に詰まる感じがした。そして「苦しい。息ができない。」。一気にパニックになった。ナースコールは見当たらないし、体を動かすことも出来ない。とっさに左足を上げベッドに打ち付けて看護師さんを振り向かせた。「痰で、、、息ができない。」そう伝えると看護師さんはすぐに専用の吸引チューブを喉に入れて痰を吸い出してくれた。ずいぶん楽になり、落ち着いた。そのあと看護師さんが「今、朝10時ですよ。手術が終わってからずっと寝てました。状態も良さそうなので先生に確認できたら人工呼吸器外しますね。」と言ってくれた。その時、すぐに外してもらえるのだと安心したのと同時に、「あ。足も動くし麻痺していない。無事に手術終わったんだ。」と初めて認識できた。

 それから2時間たったころ、約束通り人工呼吸器が外れた。そしてドクターが「手術は予定通り終わりました。股の付け根の部分まで全部やれました。肺の癒着がひどかったので時間かかりました。あと、肺に穴が空きましたが閉じたので大丈夫です。肋間動脈も再建したので麻痺は、、、(脚をバタつかせて見せる)ないですね。血圧、血中酸素濃度も安定しているので大丈夫ですよ。手術の結果は昨晩ご家族にも電話でお伝えしました。」と説明してくれた。嬉しかった。当たり前にあると気づかないが、脚が動くこと、声が出ることも嬉しく、幸運に感謝した。

 ICUでの5日間

 目覚めた次の日に首についていた点滴、背中の脊髄ドレナージのチューブ、脇腹に刺さっていたドレーンの一本も抜けて随分と身軽になった。身軽になったと思ったらすぐリハビリが始まった。はじめはベッド横に立つことからだ。手術の翌々日に?とびっくりしたが意外と問題なく立てた。食事(流動食)も始まった。

 ICU4日目には朝には尿カテーテル、右手首の動脈に入れられているAラインが抜けた。午前のリハビリではICU内を往復できるようになった。リハビリで病棟内を往復したあと、自力でトイレに行き大便もできた。なんとも順調。そう思った矢先、不調が襲った。トイレに行った勢いそのまま、レントゲン検査まで歩いて向かうと意気込んだが視界がクラクラし、頭も痛くなって動けない、吐き気もすごい。看護師さんの押す車椅子で放射線科に向かいレントゲンをなんとか撮れたが、立っているだけで本当に辛かった。その後はベッドの上で3時間ほど昼ごはんも食べず、ひたすら寝ていた。寝たらある程度回復した。そしてこの視界クラクラと頭痛の不調は一般病棟に移動してもしばしば現れたが、後で紹介する「魔法の飲み物」で完全に解決する。

 ICU5日目には右手に点滴がついているのみになった。リハビリでは自転車漕ぎがスタートした。自身の回復の早さにびっくりした。ただし、ドクター曰く「人間が受ける手術のなかで一番大きい手術」を受けただけあって、全てが順調というわけでもなかった。腹部に挿入されているドレーンからの排出液がやたら多い。看護師さんとドクターが量の多さをいつも話合っていた。どうやらこの症状は「中程度のリンパ漏」と言うらしく、今後リンパ管の検査と場合によっては手術が必要とのことだった。欲張ってはいけないが、大きな手術を受けると何か小さい問題は起きるものである。仕方ない。それ以外は順調だったので、手術から5日後に一般病棟に移動できた。

一般病棟での12日間

 手術から6日目にしてICUから一般病棟に移ることができた。その日の夕方にリンパ漏の治療を受けることになった。リンパ漏の治療は左右の股の血管からカテーテルを挿入して穴の空いているリンパ管を粘度の高い造影剤で埋めていくもの。この処置も手術室で行われるため手術着に着替えて車椅子で向かった。この病院で3回目の手術台に乗り、約2時間の治療は終わった(リンパ漏について詳細は別途まとめ投稿します)。

 リンパ漏の治療ができ、リンパ管の手術は必要ないということで、次の日には残されていた2本のドレーン(胸腔内チューブ)が抜かれた。チューブを抜くのと合わせて、背中から腹部にかけて走る50㎝近くの傷口を塞ぐホチキス様のものが外されていった。抜糸みたいな感じだった。計50個近く外しただろうか。外す作業はチクチクとだけ軽い痛みがあるだけだった。

 その日最後の点滴もとれて病棟内を歩けるようになった。体力的には奥さんが持って来てくれたスーツケースを開けるだけで精一杯だったし、ICUで経験した頭クラクラと頭痛の不調が起き、繰り返しダウンしていた。どうやらこの症状は脊髄ドレナージをしたことによる低髄圧症候群というものらしい。ドクターからのアドバイスは「コーヒー飲んだら治るよ。きっと」。売店にも自由に行けるようになった一般病棟に移ってから3日目、コーヒーを飲み始めたらこの低髄圧症候群の症状はきれいさっぱり無くなった。魔法のようなコーヒー効果だった。

 一般病棟に移ってから4日目からは順調に回復が進んでいった。リハビリは毎日、自転車漕ぎ20分をこなしていた。順調とはいえ大手術上がりの体なので、リンパ漏や低髄圧症候群以外にもちょこちょこ不調はあった。例えば、毎日のように熱が出るので血液の細菌検査をしたり、わき腹を肋骨を含めて大きく切っている(背中から股の付け根にむけて50㎝程)ので傷口や肋骨の付け根(背中との正面)はいつまでも痛みがあったり。その傷口に響くので咳やくしゃみが怖かったり、座り続けるの辛かったり。ただ、どんな不調も「人間が受ける最大の手術」を受けたことを考えれば、じきに良くなる小さい症状と楽観的にとらえて、退院後のことを考えながらできるだけハッピーな気持ちでいようと毎日を過ごしていた。

 一方で一般病棟にいる間のコロナ対策は厳重だった。患者も一日中マスクをする必要があったし、奥さん、家族を含めて退院まで一切の面会はできなかった。できるだけ前向きな気持ちでいようとしたけど、やっぱり家族に会えないのはつらいもので、一日も早く退院したかった。 

退院

 そして手術から19日目、リンパ漏の治療もあって予定より3日遅くなったが無事退院できた。退院の日は雨が強く降っていたのでタクシーで病院から最寄り駅へ行き、電車で自宅に帰った。ザックり切り開かれている左脇腹の傷跡は痛く、ピコピコ歩きでしか前に進めなかった。迎えに来てくれた奥さんがスーツケースなど全て持ってくれて、手ぶらで歩けたが、病院内の徒歩範囲とは全然違う広がった外の世界は移動するだけで疲れた。

 入院中に新型コロナウィルス感染対策で緊急事態宣言が出された東京の街は、駅も歩道も電車も人は少なく、閑散としていた。東京に住みだしておよそ7年。毎朝、通勤で雪崩のような人混みを見慣れた私にとって、東京という街を妙にスッキリと感じ、清々しい気持ちで家路に着いた。

 

病棟から拝む夜明け

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