傷だらけ父さんのHappy Life Journey -マルファン症候群と共に生きる-

難病(マルファン症候群)をもち、これまで多くの手術を経験。そんな傷だらけ父さんの闘病記とハッピーな人生を追い求め挑戦する姿を紹介します。同じような境遇にある人、支える人達の不安を和らげ、諦めない気持ちへのエールになれば幸いです

大動脈解離 B型 ④保存的治療(自宅療養から仕事復帰まで)

 人生2回目となる大動脈解離(スタンフォードB型)を発症してから集中治療室(ICU)での1週間と一般病棟での3週間の計1か月間、緊急搬送された大学病院で入院しました。(前回までの入院の記録は→コチラ)。

 大動脈解離を発症してから解離している(裂けている)大動脈が不安定で、解離が広がったり、再び解離する可能性がある時期を急性期と呼ぶようです。つらい急性期の時期でしたがしっかりと入院、静養することで乗り切ることが出来ました。

 1か月の入院期間を経て、ある程度安定している慢性期と呼ばれる状態になったと判断して、自宅療養を開始しました。この時の療養の目標は退院から約1ヶ月後の仕事復帰。1回目に経験した大動脈解離とは違い、今回の大動脈解離では手術をしていない為、自宅療養中は傷口の痛みはありませんでした。ただ、大動脈が広く裂けているという意識もあるのか、ときどき背中側に軽い痛み(違和感)を感じることはありました。

 また、大動脈解離の影響で血流がところどころ上手く流れていないようで、脚や腹部の調子が悪くなりやすいことが良くありました。何より解離している大動脈に負担を掛けないように常に血圧が上がらないように気にかける生活は精神的にも辛かったです。

 ただ、社会人になってこれだけ(2ヶ月間近くの)連続した休み(傷病欠勤)を取れたことは今までなかったのでそれはそれで今振り返ってみると良い時間を過ごせたと前向きにとらえています。大動脈解離を発症するまえは、休日でさえ、家でさえ仕事をしていた私が、体調が良いとは言えなくとも家族と一緒の時間を楽しむことをできるようになっていましたし、自分と家族の将来の事を落ち着いて考えることもできるようになっていました。

 下記にのこす自宅療養の記録も、私の記憶に、奥さんが日記残していてくれた記録と、当時の心情を加えて記事を纏めました。改めて書き起こすと、当時の不安や将来の心配が見て取れます。色々と経験した大病の記憶を思い出し書き出していますが、正直、この大動脈解離B型の発症と、前兆から自宅療養までの期間の記事は書いていて辛いものがあります。家族ともども人生でどん底だったといっても間違いないと思います。

 それでも実際は、そのどん底を乗り越えて大動脈解離B型発症から2年間半の間に、仕事に復帰し、手術をし、解離性の大動脈瘤を抱えながらも仕事をこなし、海外出張もして、家族で国内旅行も海外旅行も行くことが出来ました。また人生で初めての転職もすることができました。

 大動脈解離になる前よりずっとワークライフバランスは良くなり、家族もハッピーな雰囲気に戻りました。健常人と変わらない、いや、それ以上に自由に、前向きに人生を楽しむことが出来るようになれたと思っています。今後まとめ投稿していく私の経験と、復帰の軌跡が、同様に今後の心配を抱える方にとって今後の人生を前向きに考える参考になればと願い、その経験を共有していきたいと思います。

職場復帰までの1ヶ月の自宅療養と足の痛み

 2017年8月18日、大動脈解離B型で会社から大学病院に緊急搬送されてからちょうど1ヶ月後、ICUと一般病棟(循環器内科)での急性期の保存的治療受け、退院した。

 自宅療養中は基本的に自宅にこもり、薬で血圧を低く抑え、減塩に気を使いながら、日常生活に戻れるように徐々に活動範囲を広げていった。自宅療養の2日目には奥さんと近所にランチを食べに行ったり、3日目には近くの商店街にリハビリがてら歩いて出かけたりしていた。ただ、この時、数メートル歩くと右脚に筋肉痛のような痛みを感じるようになった。痛みや足先に浮き出る血管などの外観についてインターネットで調べたところ、血液が十分生き届いていない為に、歩くと足が酸素不足になっているのではないか?と考えるようになった。この症状を後日の退院後の診断の際にドクターに伝えたところ、CT画像も確認しながら、脚に血が十分に行きとどかなくなる事(虚血)を原因とする間欠性跛行(かんけつせいはこう)である事が分かった。(間欠性跛行については今後、別途「他の病気・合併症 経験録」としてまとめ投稿します。)

 退院してはじめのうちは長時間立ったり、歩いたり、座り続けることが難しかったものの、徐々に体力も戻ってきて、皿洗いをしたりできるようになってきた。体力は戻ってきたものの、この時は、脚と同様に大動脈解離の影響(虚血)と考えられるお腹の痛みを感じていた。

 自宅療養2週間経ったあたりから、一日中座って行う作業(読書や勉強、パソコン)はできるようになった。3週目には久しぶりに会社に行って、上司・人事と今後の仕事への復帰の仕方、負担の少ない(突発的な仕事や長時間労働が比較的に少ない)部署への異動について相談した。まだ間欠性跛行と腹痛があったが、退院からちょうど1ヶ月後(大動脈解離から2ヶ月後)の9月中旬に仕事に復帰できることになった。

退院後の通院

 退院後1ヶ月半の間、病院に通院したのは一度だけだった。退院から約1ヶ月後に通院し、CT検査をした。その結果、胸部大動脈瘤の最大径が53mmを超えるまで拡張が進んでいた。退院時の最大径が48mmだったので、たった1か月で5mm以上も拡張していることになる。とても早いペースで拡張していること、マルファン症候群であるという事も考慮して手術を検討するようになった。

仕事復帰おける医師からの注意点

 仕事への復帰にあたり、医師からは「肉体労働や長時間労働、ストレスや血圧が上がる環境・作業は避ける事が必要」と言われた。このことは、復帰前に診断書に記載してもらい、会社にも伝えた。

仕事復帰後の生活と体調

 通勤においては歩き続ける事が難しい為、休憩しながら歩いて会社と自宅を往復した。階段を登ることは困難だったので、極力エレベーターやエスカレーターを使って移動した。仕事中は常に腹部の違和感(軽い腹痛)があり、特に昼食後は痛みが強くなった。そのため、食事はいつも消化の良い物を選び、少量にしていた。食欲がなく、疲れやすかった為、仕事を集中して続けるのが難しく、以前の3分の1程度のパフォーマンスでしか仕事がこなせていないと感じていた。

 普段の生活面では、大動脈解離によってできた大動脈瘤(解離性大動脈瘤)を悪化させない、破裂のリスクを避ける為には血圧コントロールが重要と十分に意識していたので、処方された降圧剤3種を服用し、朝晩と血圧を測り、記録していた。また、奥さんも血圧を高めえないようにと、減塩の食事を研究して準備してくれていた。そのお陰もあり、血圧はドクターの指示通りの値でコントロールできていた。ただ、私にとっては血圧が低すぎたのか、時々ふらつきを感じることもあった。

 

上記のように、退院から1ヶ月の自宅療養の後、徐々にではあるが、順調に仕事に復帰できるようになっていた。普段の生活で血圧管理に注意し続けることは大変だけれども、このペースでなんとか仕事もやっていけるだろう。そう感じていた。

 その時は予想していなかった。仕事に復帰して2週間後にまた救急車で運ばれて再入院するとは…。 次回記事に続く。

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