傷だらけ父さんのHappy Life Journey -マルファン症候群と共に生きる-

難病(マルファン症候群)をもち、これまで多くの手術を経験。そんな傷だらけ父さんの闘病記とハッピーな人生を追い求め挑戦する姿を紹介します。同じような境遇にある人、支える人達の不安を和らげ、諦めない気持ちへのエールになれば幸いです

大動脈解離 B型 ⑦手術後ICU~入院期間(遠位弓部下降大動脈置換)

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人生2回目となる大動脈の手術を経験しました。1回目の時は、急な痛みとともに救急車で搬送されて翌日には手術をするという、まったく余裕のない出来事でした(その時の記録は→コチラにまとめています。)

今回は前回と違い、大動脈解離の発症から手術までの間が、数カ月あり、むしろ手術出来るチャンスを待っていたといえるものでした。

1回目と2回目では手術に挑む気持ちも、状況も全く違い、手術後のICUと一般病棟での生活もまた違うものでした。同じような大動脈解離の手術や入院が必要となる人、その家族の為に、大動脈解離B型に関しても下記のように私の経験と記録を共有したいと思います。

手術からの目覚め 

 2017年10月28日。人生2回目となる大動脈手術を受けました(手術の記録は→コチラ

 その翌日午前9時ころ、看護師さんに起こされる訳でもなく自然と目が覚めました。目が覚めた瞬間、周りの雰囲気からICUにいることは理解できました。ただ、前回の大動脈手術の手術明けにあった重たく苦しい感じが全くしませんでした。人工呼吸器もついてないし、酸素マスクもついていない。 “もしかして、手術中に何かトラブルがあって手術が全部終わらなかったのかもしれない。また手術の続きがあったりするのかな”。 予想とは違い体に軽ささえ感じる手術明けの目覚めに、むしろ不安な感情を抱きました。

 不安になりながら、看護師に何て聞いてみようかと、ボーっと天井をみていると看護師さんが、「おはようございます。無事、手術おわりましたよ。良く寝ていましたね。」と声をかけてくれました。そこでやっと安心しました。「よかった。手術は終わっているみたいだ」。

 手術の目覚めから数時間後、ICUの面会時間に奥さんと駆け付けてくれていた家族が様子を見にやってきてくれました。そこで聞いたのが、「昨日手術が明けてICUに来た後は、暴れて点滴を自分で取り外しそうだから大変だったみたいだよ。手足を縛ったみたい。」と。

 いつもICUで手術明けに感じる苦しさや人工呼吸器の嫌な感じも何もなかったのは、目が覚めていたけれどもどうやら記憶がなかったからみたいでした。

 もしかすると記憶がないのはせん妄(ICUシンドローム)の症状のひとつかもしれません。実際、奥さんの手術日の日記には、”手術が終わった後の顔は青白い。目も開いたり閉じたりで、管が入っていて話せない。苦しいとか、のどがカラカラとか話そうとしていた。”と書いてあった。やはり記憶がないだけでつらい手術明けの一夜はあったようでした。恐らく昨晩は看護師さんには迷惑をかけたのだとおもいます。

 何がともあれ、手術は予定通りに終わり、心配した合併症や後遺症もないようで安心しました。

ICUでの3日間

 手術日を含めて3日間をICU で過ごしました。麻酔から目覚めた手術の翌日(ICU 2日目)は、手術後と思えない程、頭がすっきりしていました。2日目の午後にはベッドを斜めに起こしてICUの中を見回したり、流動食を食べることができるようになっていました。また、面会に来てくれた奥さんや家族ともベッドにもたれかかりながら、座った状態で話せることができていました。

 ただ、頭と意識ははっきりしている一方で、脇腹の傷が痛み、声を出すのは辛かったです。せっかく面会に来てくれていたのですが、話し続けるにはその痛みは辛く、30分の面会時間が十分に、すこし長く感じました。

 そして、呼吸や血中酸素濃度などに目立った問題もなく、順調に回復していることが確認できたため、3日目の午後には一般病棟に移れることになりました。体内に溜まっている体液や血液を排出するドレーンチューブや、尿カテーテル、点滴、心電図の線などはまだ体のあちこちに繋がったままの状態ではありましたが、一般病棟に移った日の夕方にはベッドの横で歩く練習を開始できるまで回復していました。

一般病棟での1週間

 3日間のICUのあと、一般病棟に移った次の日に、食事のメニューが流動食からお粥に変わりました。さらに、一般病院での2日目には尿カテーテルが外れ、自分でトイレに行けるようになりました。自分で動ける範囲が広がった分、体を動かす機会も、動かす範囲も広がった為、脇腹の痛みを感じることが多くなりました。ICUにいる間は動きが制限される上、ベッドのリクライニング機能に頼りっぱなしの生活であったので意識することが少なかったのですが、肋骨を含めて大きく切っている脇腹の傷口(背中から正面胸にかけて20㎝程)や肋骨の付け根(背中との正面)はやっぱり動くと痛かったです。

 そして、痛みのなかで一番恐ろしいのは、ベッドの寝起きや、咳をするタイミング。特に咳やくしゃみは目が見開くほど激しく痛むので、咳への恐怖がいつもありました。咳に繋がりそうな痰の存在をのどに感じては目が覚めて、そして小さい咳を繰り返して痰を出す。数日はそんな熟睡できない日も続きました。

 ちなみに、ICUにいる間は以前の入院時に経験した“せん妄“を理解していたので、昼はできるだけ起きて、夜しっかり寝る事が出来ていました。(せん妄については「良き患者であるススメ」として詳細を紹介しています。→コチラ)

 一般病棟での夜も同じように、出来るだけしっかり寝る事を意識していたのですが、咳やくしゃみが傷口に響く怖さもあってなかなか眠りにつくことが出来ませんでした。そんな夜に熟睡できないリズムに慣れてしまった影響で、軽いせん妄状態に一時期なってしまいました。夜中に眠れず頭が活性化されて、夜中3時にパッチリ目が覚めて本を読んだり、メモをしたりしていました。その時は頭が冴えて仕方なく、自分の思いついた仕事のアイデアや将来の計画がどんどん湧いてきました。また、そのアイデアを忘れはいけないと一生懸命ノートにメモを書いていました。当時のそのメモを読み返すと、字も汚く何を書いているのか良くわからないし、非現実的なアイデアで全く使い物にならないものばかりです。よく、テレビなんかで違法ドラッグ等をすると “なんでもできるような気分になる”とか、“頭が冴える”とか聞くことがありますが、せん妄状態で、頭がフル回転している時も、これに似ているのではないかと思います。一時的に“良い気分”にはなるのかもしれませんが、きっとそんな事をしたときのアイデアや記憶なんて全く使い物にならないだと思います。それよりも、その状態になってしまった脳のダメージを元に戻すことの方がずっと大変だとおもいます。 ”薬物、ダメ。ぜったい。”ですね。

 さて、傷口が痛むこと、また睡眠のリズムがうまく取れていないことを除けば、極めて順調に回復していきました。一般病棟に移った6日目には点滴やドレーンなども外れ、シャワーを浴びれるようになっていました。そして手術から10日後、脇腹のドレーン跡にはまだ糸とガーゼが残っている状態ではありましたが、退院し自宅療養に移行しました。

自宅療養に向けて

 大動脈の手術という大手術であったのにも関わらず、過去の手術を伴う入院経験のなかで一番短期間の入院で退院できたのは本当に幸運で、良い事でした。

 大動脈瘤の一部を人工血管に変えた良い影響があったのだと思いますが、血流のめぐりが悪い事(虚血)による足の痛みがあったのも全く感じなくなっていました。

 “無事に手術ができてよかった。”という感謝の気持ちとともに、“よし、このペースで一気に回復だ!”という前のめりの気持ちで、意気揚々と退院したことを覚えています。ただ、この時は想像できていませんでした。病棟内の行動範囲とは違う自宅での日常生活は思ったより大変で、慣れるには想像以上に時間がかかることを。