傷だらけ父さんのHappy Life Journey -マルファン症候群と共に生きる-

難病(マルファン症候群)をもち、これまで多くの手術を経験。そんな傷だらけ父さんの闘病記とハッピーな人生を追い求め挑戦する姿を紹介します。同じような境遇にある人、支える人達の不安を和らげ、諦めない気持ちへのエールになれば幸いです

大動脈解離 B型 ⑧退院~3カ月間 仕事復帰までの記録(遠位弓部下降大動脈置換)

 人生2回目の大動脈の手術は、19歳で経験した1回目の大動脈の手術・入院と比較すれば辛い思いも少なく、手術から10日間という短期間で退院することができました。(2回目の大動脈の手術:胸部大動脈手術後ICU、入院の記録は→コチラ)

 ただし、今回の胸部大動脈の手術は、肋骨を正面から切り開いた1回目の手術とは違い、左わき腹を肋骨も含めて切り開く手術でした。わき腹は生活のなかで可動範囲が広く、力を入れることの多いため、退院後の療養期間は、その傷跡の痛み(特に肋骨)が一番の悩みでした。

自宅療養を開始してからの1週間

 退院して自宅療養を開始した1週目は、とにかく手術痕(傷口と肋骨)の痛みがありました。自宅内の行動範囲だけでも思うように動いたりすることできなかったことを覚えています。

 例えば、ベッドに横になる事、起き上がる事すら自分一人ではスムーズには出来ませんでした。ベッドの段差を利用して足をゆっくりと先に下ろして、補助してもらいながら起き上がったり、奥さんのサポートを受けてなんとか横になる事が出来ている状態でした。

 病院ではベッドのリクライニング機能のお陰でスムーズに出来ていた簡単なことが、自宅の生活空間では難しく、痛みや疲れを伴うことが多かったです。特に、下に落ちたものを拾う、頭からかぶるような服を着る、靴下を履く、シャワーを浴びるといった作業は、痛みと辛さがあったので、常に奥さんにサポートしてもらっていました。

 また夜は、鎮痛剤の効果が切れると痛みを敏感に感じ、上手く寝付けない事も多かったです。奥さんの日記によると、 “昼には元気だが、夜には唸っていた。”と書いてあったので、自分が思っている以上に痛みや自宅療養の大変さをからだは感じていたのかもしれません。

 今考えると、自宅療養1週目がきつかったのは当然かもしれません。というのも、1回目の大動脈基部の手術も、後に経験する3回目の大動脈(胸腹部)手術の後も、退院は手術から2~3週間後でした。

 今回の2回目の手術からの退院が、手術後10日であったことを考えると自宅療養の1週目がきつかったことは納得できます。自宅にサポートできる奥さんがいてくれたから良かったですが、これがもし一人暮らしの時だったら退院は1週間ほど先にしてもらった方が良かったかも知れないと、今だから思います。それくらい、病院と自宅の行動範囲、体への負担のかかり具合は違うと改めて感じました。

仕事復帰までの1か月間

 退院した時はまだドレーン(手術のあと体内の体液などを排出するために挿入されるチューブ)の傷口には糸が残っている状態で、ガーゼで覆われていました。その為、自宅療養の間は、しばらく自分で消毒やガーゼを変えていました。シャワーを浴びたあと、ドラッグストアで買った消毒薬(イソジン)で消毒し、無菌ガーゼをあてるといった具合で。

 退院から2週間後の通院で、このドレーンの傷口の抜糸をしてもらいました。ドレーン箇所の抜糸が終わったあとの自宅療養の2週目以降は、肋骨を含めた傷口の痛みにもだんだん慣れてきて、どんどん回復が進みました。

 退院から3週目にはリハビリがてら電車に乗って自宅から距離のある公園(代々木公園)まで行くことが出来ていました。そのリハビリがてらの外出を通して嬉しかったことは、“往復の行程も、公園でぶらぶら歩いている間も、手術前に悩まされていた脚の痛みを感じることが全くなかった。”ことです。今回の手術のお陰で大動脈解離を発症してから悩まされていた間欠性跛行がなくなったことを確信した一日でした。

 ただ、今回の手術で破裂リスクのある胸部の解離性大動脈瘤を人工血管に替えることは出来ているとはいえ、その先の部分(腹部から脚の付け根にかけて)には解離性大動脈瘤がまだ残っている状態でした。その為、退院1ヶ月後のCT検査でも、「手術をしていない大動脈解離が残っている部分は拡張幅は小さくはなっているが、残っている部分の中でも腹部の大動脈瘤は拡大傾向あります。再解離やさらなる拡張に繋がらないように、血圧に気をつけることは引き続き必要です。」とドクターに言われていました。

 血圧に気を付ける為に自宅療養期間には、シャワー時に浴室の温度差に気をつける、重い物を持たない、疲れたらすぐ休むなど、血圧が上がらないよう注意を払う生活を続けていました。手術前と比べたら量こそ減りはしましたが、降圧剤も継続して服薬していました。

 そして、退院してから1か月強の自宅療養の後、制限つき(肉体労働や長時間労働、ストレスや血圧上げる環境、作業は避ける等)を条件に仕事に復帰することが出来るようになりました。

 こんな大きな(しかも命に関わる)手術を受けている為、職場の上司も産業医も、復帰はうれしいと言ってくれる反面、職場に戻ってくる事に正直不安がありそうな感じでした。

 一方で、手術の内容や仕事で気をつける事などは、口頭ではなかなか伝わりづらいです。特に産業医さんにはしっかりと理解してもらいたいと思ったので(恐らく手術をしたことは無いであろう内科医なので、あまり理解できてい無さそうだったので)病院が発行してくれる会社向けの「診断書」に加えて、相手のためにも、今後、大動脈瘤を抱えながら仕事する自分の為にも、イラストや写真もいれた資料も一緒にして会社に説明しました。

 個人的には、その準備しておいた資料のお陰で、上司の理解がグッと深まり、色々と気にかけてくれるようになったと感じています。誰しも経験してないことは分からないのだから、患者側(復職する側)もこういった気遣いや配慮は必要だろうと思います。

仕事復帰してからの3か月間

 仕事復帰してから3ヶ月間の回復状況としては、肋骨の痛みを除いては手術前に悩まされていた脚の痛み(間欠性跛行)やお腹の痛み・違和感は全くなくなっていました。

 大きく拡張して血流を妨げていた部分の大動脈が人工血管に入れ替わったことで、胃腸や脚に行く血流も正常に近い状態に戻ったようでした。この2つの大動脈解離の合併症の症状が和らいだことが、今回の手術の成果としてとりわけ嬉しかったです。一方で、3か月経っても痛みで夜に眠れないことも多くありました。睡眠ができないことについては、掛かりつけの循環器内科に相談して、鎮痛剤と合わせて睡眠薬眠剤)ももらうようになっていました。どうしても眠りにつけない時は、眠剤を使っていました。また、傷口(肋骨)が完全にくっつくまでは、コルセット(胸帯)を3ヶ月間は腹巻がてらつけていました。

 退院から5週間後に復帰できた仕事の方は、“順調に”、とはいえ“徐々に、少しずつ”以前の状態に回復していきました。

 仕事復帰から3日後には早速職場の人が復帰祝いで食事会(飲み会)をしてくれました。お酒は、ドクターから「普通に嗜む範囲であれば問題ない。」と言われていたので、少し飲みました(酒好きな私にとって嗜む程度)。

 ただ、その時の奥さんの日記を読むと「疲れたみたい。」と書いてあるので、まだアフターファイブ(仕事後)の時間を楽しむには早すぎたみたいでした。

 順調ではあったものの、仕事復帰して3ヶ月間は“本調子”とまではいかなかったというのが、正直なところでした。業務・作業そのものは、破裂の危険を伴う大動脈瘤を抱えていた手術前よりは出来るようになりましたが、大動脈解離発症前の半分をこなす程度の仕事のパフォーマンスだったように思います。

 フルタイムを働くのが精一杯で、痛みを感じれば鎮痛剤を飲みながら仕事をするという日々を2ヶ月ほど続けていました。また、仕事の帰り道の横断歩道で、フーっと一息ついて「今日も一日頑張った。」と言っていたのを思い出します。会社の理解もあって、仕事は残業はほぼ無しで帰れてはいたのですが、一日8時間の仕事をやりきるまでの回復には時間がかかりました。

 30歳前半でも、回復にはそれくらいの時間やペースが必要だったのですから、今後自分が年を取った後、また高齢の方の手術明けの職場復帰というのは、やはりそれくらいの期間や配慮は必要だということは考えておかないといけないと思いました。また、この時は、海外出張や一人での出張も、何かあったら良くないと判断しやめていました。

手術の傷口の痛み

 ちなみに胸部大動脈手術で開胸した左脇腹は手術から2年ほど経過した2020年の時点でもたまに痛みました。表面上の皮膚の切り傷跡が痛むことは全くないのですが、手術時に切断し大きく開いたであろう肋骨の両端(左胸の裏と左肩甲骨の裏あたり)がズキズキと痛む時がありました。この痛みが後遺症という人もいると思いますが、あれだけの大手術をしたのだから仕方ないと考え、あまり気にしないようにしていました。痛みを感じた時は、フーッと深呼吸をして”まだ痛むなあ。“と思う程度に留めていました。

 なお、更に1年半たった(手術から合計で3年半が経過した)2021年の4月頃には、わき腹の痛みはほぼなくなっていました。

仕事復帰してから4か月目以降

 職場復帰して4ヶ月目に入った頃には季節的に暖かくなった事もあってか、傷の痛みも和らいでいき、一気に回復は進みました。その頃には疲れやすいといった体力面の衰えも感じなくなっていき、無理なく働き続けることができるようになっていました。ちょうど歓迎会シーズンで、以前と変わらないアフターファイブも楽しめる気力・体力に戻っていました。

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