傷だらけ父さんのHappy Life Journey -マルファン症候群と共に生きる-

難病(マルファン症候群)をもち、これまで多くの手術を経験。そんな傷だらけ父さんの闘病記とハッピーな人生を追い求め挑戦する姿を紹介します。同じような境遇にある人、支える人達の不安を和らげ、諦めない気持ちへのエールになれば幸いです

大動脈解離 スタンフォードB型 ②発症

2017年7月18日、祝日明けの火曜日。

いつも通り会社の食堂で昼食を食べ、洗面所で歯磨きをしている時にそれは起こりました。人生2回目となる大動脈解離です。

いつもと何か違ったか?

 前回の記事で記載したように、毎日毎日、心身ともに余裕のない仕事をしていて、寝る時間も起きる時間もバラバラな不規則な生活を送っていました。

 異変というところで言えば、“不整脈”という今まで感じることはなかった身体の異変には気づいていました(前兆については→コチラ

 ただ、この大動脈解離を発症した7月は違いました。どちらかと言うと忙しい時期を乗り越え、大きな仕事(会社で重要な会議でのプレゼン)も終え、「さあ、これからやりたかった仕事をやるぞ。」とホッと気持ちの余裕が出てきた頃でした。

 その日も、いつもと同じように昼食後の歯磨きをしていました。歯磨きも終わりかけのとき、はじめは胸に何かが引っかかるような違和感を感じました。そしてその数秒後、その違和感は背中にグサリと刺さるような痛みに変わりました。“これはやばいかも” そう思って洗面所の周りを見渡しても誰もいない。。。

 ちょうどその瞬間、運良く会社の他部署の先輩社員(面識のあった方)が洗面所に入ってきました。14年前に経験した大動脈解離より若干痛みは弱く、痛みの質も違ったので、その時はまさか大動脈解離とは思っていませんでしたが、“これはまずい。心臓辺りに何か起きたに違いない。”と察し、その瞬間に遠慮なく、「すみません。」と声をかけました。

 ただ驚いたことに、それ以上声が出てこない。上手く息ができない。洗面所のシンクに両腕をつきながら下を向き、声も絶え絶え 「心臓が悪くて、、、痛くて、、、救急車、、、。」というのが精一杯でした。その先輩社員は、すぐに状況を理解してくれて警備室に連絡してくれました。その後すぐに医務室の方々、産業医の方も駆けつけてくれました。(ちなみに、あの日使った洗面所はどちらかというとゲスト用で他の社員が使う洗面所ではなかった。たまたまその日先輩社員が寄ってくれたから助けてもらえた。本当に運が良かった。)

痛みの変化

 しばらくして、救急車が会社の受付前に横付けする形で到着しました。まだ頭のほうはしっかりと意識はあり、周りの状況や救急車が来たことは把握できていましたが、体のほうは医務室の方が準備してくれた車椅子に腰掛けて座っているのがやっとの状態だでした。

 救急車が来るまで待っているのしばらくの間(10分くらいだったか)、痛みはどんどん変化していきました。はじめは背中の肩甲骨辺りが痛かったのが、お腹に向けてさらにグサリ、そしてそのあとは腰に向けてグサリと強い痛みが移動していきました。その時の痛みを例えるなら、小刀を背中にグサリと刺された後、腰に向け切り進められたような痛みでした。

 そんな痛みを車椅子の上で耐えながら救急車を待つ中、私は「ちくしょう。絶対生きてやる。生きてやる。死んでたまるか。」と吐息とともに口を動かしてました。

病院への緊急搬送と家族への連絡

  救急隊には、大動脈解離を過去にも起こしていること、定期検査をしている大学病院がかかりつけであることを伝えることはできたのですが、すぐに救急車を発車させ病院に向かうことはありませんでした。搬送先の受け入れ体制の確認など色々あったのだと思います。

 私の方も、家族に連絡をとるのに手間取ってしまいました。奥さんは保育士として日中は働いており、携帯に出ることができない。奥さんの携帯電話の番号も、しっかりとは覚えていなかったので伝えることもできない。スマホを検索しようにも何度もスマホのパスワードを外さないといけない。駆けつけてくれた家族への連絡をしてくれた上司も、スマホの連絡帳から連絡先を見つけるのに苦労していました。そして電話の繋がらない奥さんではなく、連絡帳より(苗字が同じ)実母の番号に電話して、やっと家族への連絡をすることが出来るという、だいぶ手間と時間がかかってしまいました。

 誰にでも当てはまるが、不測の事態の緊急連絡先は、分かるようにしておかないといけない。スマホに家族の電話番号が入っていると安心していても、いざという時は自分では操作できないし、他の人はロックを解除することもできない。(緊急時を想定した、自身が持病を持っていることを伝える大切さは別途、「良き患者であるススメ」にまとめ投稿する予定です。)

病院への搬送後

 病院に緊急搬送された後は、手術室の雰囲気に近い救急患者用の処置室で、まず点滴やAライン(手首の動脈への点滴)がつけられ、その後CT検査を受けました。

 正直この時のことは、いつスーツを脱いで手術着になったのか、いつ奥さんが到着したのか等、あまり記憶がありません。息が浅くなって頭はボーっとしていたし、痛みが酷くならないようにと、横になった姿勢から動かないようにしたいと思っていました。

 そして、CTの結果を処置室で聞きました。「大動脈が解離しているのが確認できました。今からICUに移ります。」と。その後、それまで処置室の外で待機していた、奥さん、病院まで救急車で同行してくれた上司、洗面所で助けてくれた先輩社員、産業医の方にも、大動脈解離であることと、現在の状況の説明があったようでした。

 この日から、自身2回目となる、1回目の大動脈基部の解離(スタンフォードA型)とは違う広範囲の大動脈解離(スタンフォードB型)を共にする日々が始まりました。

 

大動脈解離の状態(下記の赤矢印)

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3層で構成される血管の外膜と中膜・内膜の間に穴が空き、血流が流入し、裂けている。白い狭い楕円が本来の血流(真腔)であり、広めの三日月状の部分が解離によりできた血流(偽腔)

 

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背中から腰部まで大動脈が裂けていることがわかる。(白い箇所が真腔で、灰色の箇所が偽腔。偽腔で真腔が押しつぶされている)