傷だらけ父さんのHappy Life Journey -マルファン症候群と共に生きる-

難病(マルファン症候群)をもち、これまで多くの手術を経験。そんな傷だらけ父さんの闘病記とハッピーな人生を追い求め挑戦する姿を紹介します。同じような境遇にある人、支える人達の不安を和らげ、諦めない気持ちへのエールになれば幸いです

大動脈解離 スタンフォードB型 ①前兆

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 2017年7月中旬、14年ぶりとなる2回目の大動脈解離を経験した。初めての大動脈解離の発症時と同じように(その時の記事は→こちら)発症する当日は、それまで何も体の異変は感じていなかった。

 1回目の大動脈解離の時は、前兆や発症する前の体の異変といったものはなかったが、発症したきっかけ(原因)があるとすれば、寒い時期に夜遅くまでバイクで出掛けていたこと、学園祭に一生懸命だったこと、また、バイトで深夜労働をしていて十分な休養が出来ていなかったことなどが大動脈解離を引き起こした原因だったんではないかと考えている(マルファン症候群であるため、遺伝的にも結合組織が強くないという基礎的な特性はあるのだが)。

 一般的に冬は、寒さや寒暖差により血圧が高くなりやすく、心臓・循環器系の疾患が発生しやすいと言われている。実際、私の母も大動脈解離を発症したのは12月のクリスマスイブのことだった。ただ、今回の自身2回目となる大動脈解離に関して言うと、発症したのは7月の初夏として過ごし易い時期で、寒さが大動脈解離を引き起こしした要因とは考えられない。

2回目の大動脈解離を発症した原因として考えられること 、思うこと。

 ただ、2回目の大動脈解離は1回目とは大きな違いがあった。

 その違いというのは大動脈解離を発症する前にしっかりと前兆(身体の異変)があったという事だ。自分の体はしっかりとSOSを出していた。だけれども私は、そのSOSを大動脈解離が起きる前にしっかりと受け止めて、予防につなげる事が出来なかった。

 私は大動脈解離など今まで経験した病気を、人生をより充実したものにしようとする活力(バイタリティ)に変える源として前向きに捉えているが、出来る事なら誰一人、大病にはかかって欲しくない。病気にならず健康であることほど幸せな事はない。基本的に、健康であれば色々な事にチャレンジ出来るし、やりたいことや選択出来ることの選択肢をより広く持てるのだから。

 下記の大動脈解離が起こる前の前兆や体の異変、またその原因となっていると考えられる仕事や生活の状況は誰にでも当てはまると思う。マルファン症候群の方に限らず、年齢に限らず、今健康である人にも意識してほしい。一時期の無理は、自身の一生を大きく変える。月並みな言葉だが、 「心身共に健康を第一優先にしてほしい。」

 

 「あなたの代わりになれる人は会社や世の中にたくさんにいる。だけれども、家族(親、兄弟、子供)にとってあなたの代わりは誰一人としていないのだから。」 (尊敬する元上司が掛けてくれた言葉)

 

大動脈解離が起きる前の身体の変化と状況 

体重・血圧

 発症時の体重は77kg。一方、発症する一年前の体重は70kg。一年で5kg以上も太っていた。血圧も発症する前の年までは最高血圧は120台であったが、発症する前の年の健康診断では130台後半を記録していた。原因は後述する仕事や生活の状況にあると考えているが、一年(短期)でこれまで体重や血圧が増えたことは、今まで経験がなかった。

不正脈

 7月中旬に大動脈解離を発症するのだが、二ヶ月前に当たる5月初旬に不正脈を認識していた。急に朝の通勤時と夕方になると、通常は「ドクン、ドクン、ドクン」とリズムよく打つ鼓動が、「ドドド、ドクン、ドクン、ドド、ドクン、ドクン」と不規則になるようになった。今まで経験したことのない身体の異常を奥さんにも相談し、認識したその週のうちに近所の循環器内科に行った。心電図や心エコー、24時間の心拍を測定出来るホルター心電図を装着する検査を受けた。診断の結果は「不正脈はありますが、心室性期外収縮ですね。直ぐ命に関わるものではないので大丈夫です。」であった。薬が処方され、その次の週には不整脈は和らいでいた。ただ、今考えるとカラダが発してくれていたSOSを薬で抑えて見えなくしてしまった気がする。

 ちなみに不正脈は平日の朝夕が頻出で、休日に感じることは無かった。後で調べて分かったが、一日の生活リズム(出勤する/仕事が終わる)のうち精神的な変化が発生するタイミングは体の反応(不整脈)が起きやすいようだ。

定期検査

 上記の循環器内科での診察とは別に、19歳で経験した1回目の大動脈解離(基部置換術)以降、二ヶ月に1回、近くの大学病院で定期検査を受けていた。検査は二ヶ月に1回の血液検査と、年に1回の生理検査(レントゲン、心電図、心エコー)と単純CT(造影剤を使わないCT)を定期的に受けていた。発症の一ヶ月前の6月には血液検査とCTを受けていたが、その結果は「異常はないです。大動脈も綺麗ですし、大丈夫ですよ。」と言われていた。この時はまさか、一ヶ月に大動脈解離になり緊急搬送になるとは考えてもいなかった。

仕事の状況

 仕事は大動脈解離を発症する一年前から大きな変化があった。発症の一年前の7月末にスペインのMBA留学から帰国し、同じ会社の以前とは全く違う部署配属になった。周りの同僚や上司は当然初めて会う人であるのに加え、バックグラウンドや会社で育ってきた環境も全く違う。仕事内容も今までとは全く違い、留学前の13年間の同じ会社での人脈、経験はほとんど活かせる機会がなかった。同じ社内とはいえ転職したような状況だった。そんな新しい環境で、仕事は激務だった。

 今でこそ“働き方改善”が進められているが、その時は働き方に関する色々な社会問題や事件が表面に出てきた段階で、実質的な対応はまだまだできてない時期であった。土日の出勤もあったし、24時を過ぎる残業、自宅での休日や早朝から持ち帰り仕事、トータルすれば月間80時間以上の時間外労働をしていることはザラにあった。

 それでも会社は嫌いではなかったし、頑張れば自分の思い描いた仕事も出来る/部署に異動できるようになると信じていた。また、留学前に所属していた部署出身の意地(あの部署からきた人材は使えないとか言わせたくない!)もあって、頑張り抜こうとしていた。発症する前は、そんな激動の一年だった。

生活の状況

 上記のような仕事の仕方をしていたので、生活も決して良いと言えるものではなかった。残業を終えて、夜10時以降に自宅で夕食を食べ、就眠する時間、起床する時間はバラバラという日々を送っていた。

 奥さんの当時の日記を読むと、「最近忙しいみたいで、全然寝てないみたい。」、「休みなのに一日中仕事している。」、「最近お酒飲み過ぎ。」、「(次タイミングで)異動がなかったら仕事を辞めると言っている。」と、目に見えて生活や精神状態も悪くなっていた事がわかる。

 

 上記のような”変化“がある中で大動脈解離は起きた。定期的な検査で大動脈の状態を確認していたし、異常時(不正脈)には診断を受けていたが発症した。このことから学んだのは、人のカラダは我慢をするという事。SOSを出しながらも、耐えて、耐えて、”オーケー(大丈夫)” を装う。ただ、耐えられなくなった時に急に”ギブアップ“を発信する。

 そんな控えめな頑張り屋のカラダだから、抱えている問題をドクターでも予測出来なかっただろう。やはり自分のカラダは自分が一番分かってあげないといけない。頑張り屋な人間のカラダに一番良くないのは「普通でない状況によるストレス」だ。自分にとって異常な状況は、遅かれ早かれ身体的にも精神的にも変化として現れ、カラダがSOSを発してくれる。

そして、2回目となる大動脈解離を発症した。

障害を抱える人、健常な人問わず皆に伝えたい。

「心身共に健康を第一優先にしてほしい」。