スリランカ旅行 (大動脈解離後 初めての海外旅行& 渡航準備記録)
2003年、大学2年生の冬に初めて経験した大動脈解離は私の人生観を大きく変えた。手術は心臓を止めて体温を17℃まで下げる内容だったし、自身の遺伝性の難病により健常者より寿命は長くないことを知った。また一方で、大病から生き延びることのできた幸運に感謝した。
人生は限りがある一方で、可能性に溢れている。だけれども、その可能性にチャレンジ出来るタイミングや選択肢というものは、健康面での理由や様々な状況で少なくなってしまうことがある。だからこそ、その時その時の今ある可能性と選択肢を大切にして、人生を幸せなものにしたいと考えるようになった。そして当時大学生で海外に興味があった私は、”世界をもっと見たい、知りたい”と思うようになった。
大動脈解離の手術からわずか9ヶ月後。若干早すぎる気もしたが、当時の主治医にも相談して許可が出たので10日間の海外旅行に行った。行き先はスリランカ。当時、テレビで見たスリランカの自然、遺跡、紅茶、宝石に興味を持った事、また当時、スリランカ内戦は停戦調和状態であったこともあり、行くなら今だと決心して渡航先として考えた。(なお、旅行に行ったわずか3ヶ月後にスリランカはスマトラ沖大地震・津波の被害を大きく受け、内戦も再開・悪化してしまった)
主治医の許可が出たとはいえ、行き先はスリランカ。「ただでさえ大動脈解離の手術から一年もたっていないし、身体障がい者一級にもなってしまった私が海外旅行に行けるのだろうか。」と心配もあった。基本的には海外旅行は自己責任であるが、自分だけでなく、同行者や家族の心配を少なくする為、行くまでには下記の「渡航準備」に記載する事前準備、注意点を盛り込んだ計画を立て旅に出た。
大動脈解離や他の大病を経験したけれども、今からの人生でまだまだ行きたいところがある!海外にもまだまだ行きたい!という方にとって私の準備と経験が参考になれば有難い。
また、私の経験したスリランカへのバックパック旅行となると極端な例に聞こえるかもしれないが、思いは一つ。 ”全ての人に限りある人生を楽しんでほしい”。海外旅行に限らず、私の大動脈解離後に経験してきたことが、このブログを読んでくださる誰かの “やってみたいことにチャレンジすること”、”前向きに人生を楽しむこと” の”きっかけ“、”刺激“、”勇気“の一助になれば幸いだ。
【スリランカ旅行 in 2004】
渡航時の状態
・大動脈解離A型 (大動脈基部置換) 術後 9ヶ月
・他の既往症(解離性大動脈瘤など): なし
渡航準備
・主治医に海外旅行(スリランカ)に行っても良いか相談した。主治医からは思いのほかすんなりとOKをもらい、現地で万が一があった時に出せる診断(下写真)を書いてもらった。診断書には病気と手術、服薬、緊急時の連絡先(主治医の連絡先)を書いてくれている。
・英語の診断書は、パスポートと一緒にして常に携帯した(税関で診断書を見せる必要はない)。
・予定通り帰国出来ない不測の事態を考えて、必要量に加え予備の薬を持参。
・人工血管が入っているため、血液の細菌感染のリスクが無いように気をつける(汚い池に入らない、動物に噛まれないように動物を触らないなどリスクを避ける)。
・人工弁が入っているため薬(血液凝固阻害剤)を服用しているので血が止まりにくい。怪我のリスクのあるアクティビティは避ける。
渡航概要
旅行期間: 2004年9月(10日間)
同行者: 彼女(後の奥さん)
渡航先: キャンディ、ラトゥナプラ、ポロンナルワ、コロンボ、シーギリア、ニゴンボ
航空ルート: 福岡国際空港⇄香港(乗換え)⇄スリランカ (キャセイパシフィック航空)
旅行方法: バックパック旅行(往復のチケットのみ持参。行き先と宿泊先は現地で決める)
渡航振り返り
数ある国の中で何気なく選んだスリランカであったが、そこでの出会いや経験、目で見た光景は私の人生観を大きく変えた。この旅以来、私の中には「この助けられた自身の命をより多くの人に広く恩返しし、一人でも多くのひとが幸せになれる力になりたい。直接的、間接的な手段を問わず、可能であれば世界に広く、まだ医療の行き届かないところへ、その“幸運の恩返し”をしたい。」という思いを抱くようになった。
*スリランカ旅行の詳細(そこでの出会いや経験、目で見た光景など)は渡航記として別途まとめ投稿する予定です。