傷だらけ父さんのHappy Life Journey -マルファン症候群と共に生きる-

難病(マルファン症候群)をもち、これまで多くの手術を経験。そんな傷だらけ父さんの闘病記とハッピーな人生を追い求め挑戦する姿を紹介します。同じような境遇にある人、支える人達の不安を和らげ、諦めない気持ちへのエールになれば幸いです

大動脈解離 A型 ②手術の記憶(大動脈基部置換術)

初めての大動脈解離の手術

 2003年12月4日。突然の胸の痛みから緊急搬送された翌日の午前10時ころ、親と彼女(後の奥さん)に見送られ手術室に入った。20年近く前の記憶なので曖昧だが、手術室に入ったあとは酸素マスクをして、麻酔の点滴が入ってからは数秒で眠りに入り記憶がない(後に受けた2回の大動脈手術でも同様だ)。そして麻酔が覚めて、ICUで起こされるまでは真っ暗闇だ。夢をみることも、幽体離脱することも何もなかった。

 それより記憶しているのは、手術前日の尿管にカテーテルを入れる作業だ。大動脈解離で動けず絶対安静でトイレに行ける状態ではないため、早い段階でICUで看護師さんにカテーテルを入れてもらうのだが、これが痛い。そしてなかなか上手く入らない。病院によっては手術室で麻酔で眠りに落ちた後に入れてくれるところもあるが、この時ばかりはしょうがない。というより、仕事とはいえ、毎回このような排泄周りを清拭してくれたり、入り辛い尿カテーテルを粘り強く対応してくれる看護師さんに頭が下がる。痛かろうが、時間が掛かろうが文句なんて一つも言えない。

手術からの目覚め

 ICUで目が覚めたのは夜11時くらいだったのを覚えている。人工呼吸器は外れていたが、酸素マスクがあり、体中にチューブが挿入されていて、両腕には点滴、体には何やらコードがついていることが、ぼやっとした意識の中だったが理解できた。

 また、大動脈基部の手術はろっ骨の中央を切断して行うので(いまでもレントゲンを撮るとろっ骨を結び付ける輪になった針金を見ることが出来る)、その影響もあってか本当に全く動けなかった。

 目が覚めて直ぐそんな状況を理解して少し不安な気持ちになったとき、薄暗いICUのなかに親と彼女がいて「終わったよ。頑張った。」と言ってくれた。それだけですごく安心した。

 全身麻酔を伴う手術を経験している人には共感してもらえると思うが、麻酔から目が覚めたその日の夜はとてつもなく時間が長く感じる。不安や痛みもあるから ”早く朝が来てほしい。” と願って眠ろうと頑張るが、30分は寝ただろうと思って時間を確認しても2分も経ってないということの繰り返し。そんな時は、何も喋らなくてもいいから誰かがそばにいてくれる。それだけで本当に安心するし、辛い・長い夜を乗り越えることが出来る。だから、もしこれから手術を控えている方のご家族がいるのであれば、他の日よりも何よりも手術直後の夜だけは可能であれば、手術を受けた家族のそばにいてあげてほしいと思う。 

 ちなみに術後に会話ができる様になるまで知らなかったが、手術は心臓を止めて人工心肺とし、体温を17度まで下げて手術をしたとのことだった。後にもう一度心臓を止める大動脈解離の手術を経験することになるのだが、やはり手術中の記憶はない。真っ暗で幽体離脱もない。 それ以来、”人間死んだらそこで終わりだ” と考えるようになったし、”限りあるこの人生を最大限に精一杯、世の為になるように生きていきたい” と思うようになった。

からだに残り続ける人工血管

 ちなみに2020年時点で、私の体には、心臓からはじまる大動脈の基部から足の付け根まで全て人工血管(下の写真)が入っている。人工弁(カーボン製の機械弁)も入っている。軽いサイボーグだ。

 ただ紛れもなく、そのおかげで今の私がいる。生活が出来ている。自分が今生きているという現実、いままでの闘病経験を振りかえる度に、ドクター、看護師、その他医療従事者、医療器具/機器・製薬メーカーなどの技術や仕事には心から尊敬するし、憧れる。

 なお、この人工血管は術後説明でドクターが手術の余りだからとプレゼントしてくれたものだ。お守りのように20年ちかくずっと捨てずに持ち続けているのでだいぶ汚れてしまっている。

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